お寺の檀家離れと寺離れとお寺運営を観察してみた

檀家離れお寺離れ問題

マーケティングから考察してみるお寺の檀家離れと寺離れ。この問題の解決策を一緒に行うと全くお門違い。打つべき対策が全く違うという結論。

檀家離れと寺離れは打つべき対策が別が失敗すくない

参考資料:

▶1:浄土宗総合研究所のPDF

▶2:寺院消滅:日経ビジネス記者 兼 正覚寺副住職からPDF資料

▶3:過疎化問題・寺院改革関連記事
檀家制度廃止で収入4倍 仏教界騒然のお寺

お墓の消費者全国実態調査(2015年)霊園・墓地・墓石選びの最新動向

「お坊さん便」は宗教活動と言えないのに、仏教界はなぜ反発するのか

・産経新聞:檀家の「お寺離れ」にどう対応するか・お坊さんたちが緊急シンポ

曹洞宗:過疎問題現地報告 ~ 能登地域寺院調査に参加して①~③

静岡県の葬儀費用とお寺と人口を観察

・静岡県の葬儀費用平均:1,275,932円(47都道府県中13番目)
・静岡県は横に広いために葬儀業界の競争有り、葬儀費用の下落傾向。
・下降要因>>家族葬の増加。直葬(火葬式・炉前葬)の急激な普及普及し葬儀費用の下落は続く。
※データ出展:経済産業省の特定サービス産業実態調査(2015年)

国内で9番目にお寺が多い静岡県

・日本の総寺院数:77,316ヵ寺
・静岡県の総寺院数:2,641ヵ寺(全国9位、全国構成比3.4%)

【静岡県の仏教宗派分布】
・天台宗・真言宗系:4.9%(全国21.2%)
・浄土系(浄土宗・浄土真宗系):10.4%(全国41.8%)
・禅宗系(臨済宗・曹洞宗など):68.9%(全国29.0%)
・日蓮宗系:15.8%(全国8.0%)

※データ出展:・文化庁「宗教統計調査(平成27年度12月31日現在)宗教年鑑(2009年)

【静岡県内の火葬場総数】
▶:・静岡県下の公営葬儀場を含む火葬場施設は37カ所。

静岡県人口

静岡県公式ホームページ:人口推計より

【静岡県各地域30代の未婚率】
各地域の後にお寺と関係する男女は約50%が未婚推移傾向、人口の増減に影響し、各市町村に大きな影響となる事実がある。

45歳~50歳未満の人口数と50歳~70未満の人口数の差異から、一個人宅だけでまかなう檀家制度の場合のみであれば衰退を物理的に余儀なくされる傾向。

檀家に頼らないではなく時間と共に「頼れない事実もある」

静岡県の僧侶派遣事情

※出典:涙そうそう様より

お寺の利用者を増大させるなら

檀家減少問題とお寺離れの根幹は人口減少、核家族化の影響(仏儀を知る高齢者の減少、家庭での口伝の減少)。それでいて維持費用の価格問題。40~50代が息子・娘となる親が亡くなった際に接点がないと「え?、こんなにかかるもんなの!」という反応は末端市場でアチラコチラで起りがち。そして「お寺で維持しないといけないの?」と離脱方向へ動くことも少ない。

檀家減少問題

お寺の数÷地域人口(商圏人口)=1寺当たりの平均お墓人口(支持人口数)で今後の獲得できる平均数値が分かります。その数値を獲得するための具体的にどうするかビジョン計画が必要。計画後、行わないといけない課題が初めて見える。

ですが、物理的(市場的)お墓を持たない人口数が増加中。持つ人は減少中。お墓の維持費と、家庭内引き継ぎ問題。石材屋の努力とは関係なし。根本的な改善ではなく仏教界全体の「埋葬改革」が必要かと。人口は増えない現実をいままでの伝統に合わせろという方が無理難題。精神性的にもお寺に触れている世代人口の著しい減少も影響するため。墓地を所有しない方がいいお寺も出てくる。

お寺離れ?

また感覚的イメージ用語でマスコミが言い始めた用語かなにかか。これはお寺離れではなく、そもそもお寺に、仏閣に、仏教の教えや学びに触れている20代~40代前半までの人口が極端に少ないからお寺離れではない。最初からい少ない。いない。それでいてお寺に来ていた人の減少は、寿命的影響で世代人口減少ではないか。その世代家族の核家族化で40代後半以上は「知らない」から、お寺の縁日(法要)には行かない事実。家庭内の仏教関連の継承は希薄化増加中。

利用者増加にむけて

「お寺も経営の時代」と各マスコミで取り上げられ、自立自営のお寺も露出が増えてきました。親族を亡くした方が行く場所という概念を一斉に払拭しないと、諸問題を解決する施策は功を奏さない側面あり。

「どうすれば、伸びるか」と議論するより、「どうせうれば、生存できるか」の対策が急務。成長対策は費用がかかる。

すでに檀家制度廃止したら年収4倍の成功寺院が出てきているのだから、それをロールモデルに運営改革を行うのが一番早い。ポリシーとるか存続取るかと思慮されることと思いますが、存続しないと「そのポリシーや由緒も教えも伝わらない」のでは?。

そほかにも仏教ということ中心軸にお寺を運営していることが伺える寺院。テクノロジーを使い会員増加や縁日にお寺への訪問者を着実に増やしているお寺はある。下記参照。

源平ゆかりの古刹・大本山・須磨寺

真言宗須磨寺派の本山「須磨寺の正式名は上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)であるが、古くから「須磨寺」の通称で親しまれてきた。平敦盛遺愛の青葉の笛や弁慶の鐘、さらに敦盛首塚や義経腰掛の松など、多数の重宝や史跡があり「源平ゆかりの古刹」として全国的に知られている。古来より源平の浪漫を偲んで訪れる文人墨客も数多く、広い境内のあちこちに句碑・歌碑が点在している。

 

須磨寺小池陽人の随想録

生きるための教えとして、お釈迦様やお大師様(弘法大師)が説いて下さった教えをお伝えしていきたいと思います。須磨寺は古くから「須磨のお大師さん」の名で親しまれ、この地域での弘法大師信仰の中心的な霊場でありました。毎月20日と21日に執り行われる、お大師様のご縁日でお話しをさせて頂きました法話をYoutubeでもご覧頂けるように致しました。

大叢山・福厳寺

愛知県小牧市の東部に広がる緑豊かな丘陵地に位置し、四季折々の自然に恵まれた東海地区屈指の名刹「大叢山 福厳寺」。日本では数少ない会員制度を導入し近代的な寺院運営をしているお寺です。

愛知福厳寺

大愚和尚の一問一答/Osho Taigu’s Heart of Buddha
【苦しみを 希望に変える 心の処方箋】
「大愚和尚の一問一答」では、人生経験豊富な大愚和尚が、仏教の視点をもって、国内外の方々から寄せられた相談にお応えします。

大愚和尚の一問一答

個人的感想

いち檀家としてお参りする側(利用者としての位置でも)から経験し、毎回思うことを踏まえて、ワタクシ的に人並以上の神社仏閣は學ぶし、実生活でも実践するし、古事記も読み込むこと当然。いまでは高校が大谷派だったので事前知識のベースはあったことと、何より2014年に鮎川事業哲學を徳山暉昇氏から1年間講義参加し學ばさせていただいた観点を踏まえて記させて戴くと檀家離れや寺離れの本質は「敎育問題」。根深いことですが、根底は道徳心を知る敎育が抜かれたこと。特にマッカーサー帰国後のあの団体の置き土産がそうさせているが、現状と昔を言っていてもしょうがないので、未来は変えられるわけですから選択次第で。それを行っていけばいいのかと思う次第。

さて、総合的に市場を見てみると、お寺で使う線香を作り販売しているお香メーカーがお寺より繁栄していることに仏教界の団体の長さんは何も思わないのかと思う。

それに【お坊さん便】サービス(数々あります)の衝撃的風穴に批判することはするが、具体的な施策で過疎地の衰退していくお寺の問題へ打開策は示していないと思います。実際、根底には【人口問題】が物理的に起こり、精神性的な観点で檀家離れ、寺離れと一蹴し、批判するには感覚的すぎるのではないかと。

お寺に対する20代・30代・40代のイメージは「じっちゃん、ばっちゃんの墓参りにいくところ」くらい。いつからか、死んだ時と後の時に利用するものくらいにしか思われていないのではないでしょうか。1977年代前後でもその感覚なのでしたから30代前半まで。知らなくとも、仏教がこんなに身近な生活に溶け込んでいることなんて知らないで生きていることがほぼ。普段から使う言葉や挨拶にもそのイズムは入っているし、意味も定義もちゃんとあり、なぜそうなのかという歴史的教えもある。

単純に無信仰とかじゃない。知らないだけだ。知る機会がないだけ。口伝する機会の損失の核家族化。経済市場の発展ともに密接に関係する。下がるような市場原理はない、いきなり明治大正の時代に戻る時間軸はないのだから地域環境も踏まえて希薄になっていくというより、その状況になっていっていた事実はあるのにその変化に対応した形にしてこなかったからこの現状の結果が起きているのも事実。

そこに各宗派の道理、お寺を運営TOPの住職(会社で言えばいちFCオーナーや会社の社長)のポリシー、宗教法人役員今まではこうだった重い想いとか、現実事実と理想と教えの狭間でいったりきたりしていることが多く進捗が遅いのは事実あったのではと勘ぐれる。そういう檀家さんがたくさんいる寺はいいけども、ほぼ壊滅状態のお寺ならその様な事は言ってられないし、維持していくことを念頭にする。

維持していくという姿勢にたいして、批判はどうなの?と思う。どこかの他県のローカル地域の住職は弁当加工場でバイトしてまでお寺を維持しようとする記事を読んだ。これってその住職の仏教に対する姿勢、いわゆる精神性の欠陥が問題でしょうか。そうではなくて単純にその地域の人口問題・高齢化・過疎地化などの生活環境の物理的問題ではないのかと。仏教に対して軽んじているならば、単純に「バイトまでする?」となるわけです。

経済市場で言えば「お客いないとこで商売やっていいますが、売れなくても店だけは維持していく!気合と根性で」となる。ビジネス観点で言えばそんな経営者はいないし、算数で出来ない人ですよ。いませんしねそんな人。それでも、お坊さん便など使いなんとかその宗派を通した教えを少しでもという熱いものがないと出来ないと思いますが、そこは考慮しないのかと。

経済市場心理で見て行くと、お坊さん便やお寺の供養価格明確化などお寺経営をする住職は、時流的に最適化。人の心に寄り添うという精神性を唄うどこの宗派も「寄り添う」という「定義」がないなら、一般利用者に合わせているお寺さんのほうが具体的に寄り添っている行動をしていることは事実ある。

助かっているからお金を払う。問題が解決しているからお金を払う。この行動が問題で宗教や信仰心が薄れるとかいうなら、非難する側はどれだけ日頃、仏教にまったく意識がない方々相手に接触機会を持っているのか、総本山的お寺以外のところは特に。その精神性的な観点を批判するのはお門違いすぎると思うこの頃。

それに檀家であるお墓があるお寺に行き、墓掃除をし、本堂前の浄財に布施し、お経を一読し経納帳(御朱印)を戴く作法は守り、戴きに伺うと「はいはい、単なる朱印集めの人ですか」という態度で来られる。一喝しそうになるのが本音。人の氣迫すら感じ取れない方が対応する。歴史的なことや、作法的な是非の確認もしたいく伺いたいことや質問したいことは多々あるが、質問してもはぐらかさられること少なくない。

なんで質問が出るのか?

それはそのお寺の公式サイトがないと同様の情報掲載だから。仮にあったとしても玄人的解説で、基本の基本情報類がない。そもそもお寺のウェブサイトがないことや、素人が作った見づらいホームページだったりするし情報掲載が非常に乏しい。また無駄に優しいそうなイメージのサイト作りで仏教的要素がなかったり、王道ではない情報が掲載しているところも多々ある。ちなみにヨガや演奏会などが寺離れの対策になるはずがない。ニーズが違う。ウォンツも違う。

それでいて、接触機会が少ないことは、とても勿体無い。

なぜなら、歴史的経験法則を學び・修行し・再現しているお寺と僧侶の方々。

表面的なアドバイスでは解決しない悩みがある時、人は、学校の教師に駆け込まない。むしろ先生の名前すらでてこない。けど総称的に【仏さん】【お釈迦様・観音様】【お地蔵さん】などなど(神社も含)は誰でも出てくる。

どっちの教えが人生に役立つ教えを、根底に流れているのか至極明白。かつ具体的に皆が皆、仏教系学校ではないのにもかかわらず、誰もが仏像の総称は言える事実の日本人。どっちの學びや教えが無意識の意識に存在しているか。この事実を活かさない手はないと思いますよ、お寺を運営する住職の方々。ヨガやカフェ、音楽演奏などなどしても、本音の得たい結果とは裏腹ではと思う。魅了する要素はお寺自体の王道「教え」「仏教」でなんとでもなるコトを提供することだと思います。

一般消費者は普段、暮らしの中で毎日、大中小の様々な決断の前に「考え・悩む」。これこそ大衆実用品になる「everyday・Everybody」の要素。悩みを解消し解決できるコンテンツは【お寺・住職の持っている歴史的知識や知恵】が【所有資産たるコンテンツ力】。

それは王道の仏閣の教えを【情報伝達のデザイン力】を使い触れやすくし、使えることへの【加工】は必須。

そもそも如来一同、菩薩様~お釈迦様他、各大師方々の説いていることは「亡くなってから」ではなく、内容は「生きていくなかで智慧や教え」のことばかりではないですかね。弘法大師は「済世利人(さいせいりにん)」と仰せで、それを実践した記録もあり治水工事や学校建てたりと、当時の政府要役のポジションだったというのもありますが、その経緯から説いていることが「済世利人(さいせいりにん)」で大日如来の慈悲を成就した姿が胎蔵曼荼羅の世界と説くわけですし。

また、お寺(神社)へ寄付や奉納するのは住職へ個人的に渡したいという行動ではなく、仏教自体、お寺の本尊、脈々と続いてきた教えに対して敬意の念を含めた氣持ちから起こることがほとんだと感じる。特に無人寺や神社を維持している地域の方々はそれがあるから行っていることと思います。実際にその様な行動を興す時、功徳・ご利益はありますからね。ワタクシ的に経験済み。

利用者から見ると、お寺と歴史的本尊の捉え方と住職の存在は別儀だと感じます。ある意味役割分担を明確にすると色々と進むことあると思います。 

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